「あまり強い言葉を使うなよ、弱く見えるぞ」はIT業界でも同じ
自信満々なエンジニアが数ヶ月で化けの皮が剥がれる現象、それはダニング・クルーガー効果かもしれない。面接・チーム運営で使える危険信号チェックリスト付き。
コラム
kkm
Backend Engineer / AWS / Django
噛ませ犬の法則

漫画やアニメを見ていると、ある法則に気づきます。自信満々に語るキャラほど、だいたい負ける。
BLEACHの日番谷冬獅郎。隊長格の実力者であることは間違いありません。ただ、戦闘中に強い言葉を使い始めると「あー、これ負けるな」と思ってしまう。実際、藍染惣右介に「あまり強い言葉を使うなよ、弱く見えるぞ」と言われるシーンは、もはや少年漫画のテンプレを凝縮した名場面です。
「あまり強い言葉を使うなよ、弱く見えるぞ」
— 藍染惣右介(BLEACH)
ドラゴンボールのベジータも同じです。常に自分の実力を過大評価し、強い言葉を吐き続けるキャラ。セル編では自分の強さに酔って、わざわざセルに18号を吸収させて完全体にしてやった。結果は当然ボコボコです。自分を過大評価した末に、相手を強化するお膳立てまでしてしまう。そしてワンピースのドン・クリーク。東の海では確かに最強だった。50隻の大艦隊に5,000人の部下。ただ、その狭い海での成功体験をそのまま世界に通用すると思い込み、グランドラインに乗り込んだ結果、ミホークに一瞬で壊滅させられて7日で逃げ帰ってきた。覇者の末路です。
一方でフリーザ。。あの恐ろしさの本質は、強さを誇示しないところにある。敬語で丁寧に話す。「私の戦闘力は530000です」と淡々と事実を述べる。だからこそ底が見えない恐怖がある。本当に強い存在は、わざわざ強い言葉を使わない。
さて、これは漫画の中だけの話でしょうか。
IT業界で仕事をしていると、すごく前に出て自分の優秀さをアピールする人にたくさん出会います。「〜もできます」「〜の経験もあります」「前職では〜を主導しました」。自信に満ち溢れていて頼もしく見える。ただ、そういう人を数ヶ月観察していると、知識の浅さに気づく瞬間がきます。そういう経験、ありませんか。
それ、ダニング・クルーガー効果です

1999年、コーネル大学の心理学者Justin KrugerとDavid Dunningが、ある研究を発表しました。論文タイトルは"Unskilled and Unaware of It"(未熟で、しかもそれに気づかない)。
実験はシンプルです。学生にユーモア・論理的推論・英文法のテストを受けさせ、その後で自分の成績を予想してもらった。結果はこうです。
- ▼ 下位25%の人は、自分のパーセンタイル順位を平均50ポイントも過大評価した
- ▲ 上位25%の人は、逆に自分を過小評価した(実際は87パーセンタイルなのに70-75と回答)
つまり、能力が低い人ほど自分を高く見積もり、能力が高い人ほど自分を低く見積もる。これがダニング・クルーガー効果です。
なぜこんなことが起きるのか。Dunningらの説明はこうです。「ある分野で能力が低い人は、自分の無能さに気づくためのメタ認知能力も欠如している」。つまり二重の負担を抱えている。間違った判断をする上に、それが間違いだと気づく力もない。
この現象は後に、以下の4段階モデルで広く知られるようになりました。自信と実力のグラフを見ると、ITのスキル習得もまさにこの形をしています。実力の方はS字カーブを描いて、最初は緩やかに、中盤で急激に伸び、やがてまた緩やかになる。
| 段階 | 英語名 | 状態 |
|---|---|---|
| 愚者の山 | Peak of Mount Stupid | 少し学んだだけで「わかった」と思い込む。自信は最大、実力は最小 |
| 絶望の谷 | Valley of Despair | 自分の無知に気づき、自信が急落する。「何もわかっていなかった」 |
| 啓蒙の坂 | Slope of Enlightenment | 地道に学び、実力と自信が徐々に一致していく |
| 安定の高原 | Plateau of Sustainability | 実力に裏打ちされた自信。ただし「まだ知らないこと」への謙虚さがある |
ここで重要なのは、愚者の山にいる人は、自分がそこにいることに気づけないということです。気づけないからこそ自信に満ちている。気づけないからこそ強い言葉を使う。気づけないからこそ、周囲には「この人は詳しいんだな」と映る。
「Linuxチョットデキル」の精神
IT界隈でよく見る「チョットデキル」という表現、あれは冗談のようで実はかなり本質的です。本当にできる人ほど「チョットデキル」としか言わない。安定の高原にいる人は、自分が知らないことの広さを知っているからです。
私自身は、やったことがあることなら理解してから使うようにしています。たとえば正社員時代、現場でRedmineを使っていたんですが、正直うまく使いこなせていなかった。だから休みの日に自分でVPSを借りてRedmineサーバを立てて、数ヶ月間ひとりで触り倒しました。コードでもツールでも、扱うものに関してはある程度の理解をする努力はしている。
ただ、それでも「わかっています」とは言わないようにしています。「やったことはあるので、ある程度はわかっているつもりです」くらいが正直なところ。「つもりです」を付けられるかどうかが、愚者の山にいるかどうかの分かれ目なのかもしれません。
ただ、これには副作用があります。謙虚に振る舞っていると、お客さんや仕事関係の人に「この人より自分の方が上だな」と思われることが結構多い。愚者の山にいる人は、謙虚な相手を見ると自分が上だと確信してしまうので、ある意味当然の反応ではあるんですが。
これは今でも悩んでいて、正直まだ答えが出ていません。謙虚でいれば舐められる、強く出れば愚者の山の住人と同じになる。フリーザのように淡々と成果で示すのが理想なんでしょうが、現実の仕事ではそう簡単にはいきません。まあ、答えが出ていないことを正直に書けるのも、愚者の山にいない証拠だと思うことにしています。
愚者の山の住人たち
IT業界は、ダニング・クルーガー効果が特に顕著に現れる世界だと思います。理由はシンプルで、領域が広すぎて、誰も全体を把握できないからです。
フロントエンド、バックエンド、インフラ、セキュリティ、データベース、CI/CD、アーキテクチャ設計。それぞれが深い専門性を持つ分野で、一人の人間がすべてを極めることは不可能に近い。だからこそ、ある分野を少しかじっただけで「わかった」と思い込む人が生まれやすい。
面接の場面を思い出してください。もちろん面接はアピールの場なので、自分の能力を語ること自体は当然です。ただ、あまりにも自信満々な人には注意したほうがいい。
「フロントもバックエンドもできます」「インフラもやってました」「アーキテクチャ設計も主導してました」
こういう人が、いざプロジェクトで中心的な立ち位置になると、めちゃくちゃになることがある。何度も見てきました。
間違ったアーキテクチャを採用する。間違った開発プロセスを導入する。間違った意思決定を繰り返す。そして厄介なのは、実作業者が自分ではないために、責任は部下へ流れるということです。
周りをこき下ろすような発言が多い人も要注意です。「前のプロジェクトのコードはひどかった」「あのチームの設計はなってない」。他者を下げることで自分を上げようとする。これもMount Stupidの典型的な症状で、自分の知識が浅いからこそ、他人の仕事の深さに気づけない。
あまり強い言葉を使う人を「強い」と思ってしまうと、組織全体を弱体化させます。東の海の覇者ドン・クリークが、その成功体験を過信してグランドラインに乗り込み7日で壊滅したように、狭い世界での実績を過信した人間にチームを率いらせると、プロジェクトが沈む。
1年前の自分のコード、見返せますか

ここまで他人の話をしてきましたが、私自身も愚者の山にいた経験があります。というか、今もある分野では間違いなくそこにいると思います。
卒業生に会いに行くと見える
私はIT系の専門学校で講師をしていたことがあります。卒業生に呼ばれて卒業から1〜2年後に会いに行くと、ダニング・クルーガー効果がしっかりと見えます。現場の先輩や上司を激しくこき下ろす状態になっている子が続出するタイミングなんです。「○○なんて簡単」「教えてもらった○なんて役に立たない」「○年後に起業する」。
その子たちに数年後にまた会うとずいぶん謙虚になっていて、なんとなく悩みもありつつ自分の担当範囲を一生懸命やっているというようなニュアンスになっていきます。新人の頃くらいのビッグマウスになってしまっている時、「数年経てば落ち着くんだよなぁ」と思いながら聞けるのはダニング・クルーガー効果の存在を知っているからこそ。こういった心理バイアスなどを多少学んでおくことが大事だと思うワンシーンです。
私が一度ITを諦めた話
私自身、一度ITを諦めて半年ほど別の業界に逃げたことがあります。
今振り返ると、あれはまさにダニング・クルーガー効果そのものでした。最初は社内評価も良くていい気になっていた。「わかった」「できる」と思い込んでいた。ところが技術のちょっと深いところに目を向けた瞬間、自分の理解がいかに浅かったかを思い知らされた。絶望の谷に落ちた若い私は、そのまま諦めてしまった。
半年後に戻ってきたのは、たぶん「やっぱり他の仕事は性に合わない」という消去法的な理由です。格好いい復活劇ではありません。ただ、あの半年間の挫折があったおかげで、「自分はまだ何もわかっていない」という前提でものを学ぶようになった。絶望の谷を通過したことで、啓蒙の坂をゆっくり登り始められた。そう思っています。
過去のコードが恥ずかしい問題
「もう完璧にわかった」と思って書いたコードを、1年後に見返すと恥ずかしくなる。あの時の自信はなんだったのか。変数名のセンス、エラーハンドリングの甘さ、テストの不在。当時は「完成した」と胸を張っていたのに、今の自分から見ると穴だらけです。
これは逆に言えば健全なことでもあります。過去の自分を恥ずかしいと思えるなら、少なくとも絶望の谷を通過している証拠です。愚者の山にいる人は、過去の自分のコードを見ても「よくできてる」と思う。成長していないから、差分が見えない。
だから私は、自分が今も何かの分野でMount Stupidにいるんじゃないかと常に警戒しています。わかったつもりになっていないか。知った気になって語っていないか。この警戒心が消えたときが一番危ないと思っています。
過去の自分のコードを見て恥ずかしくなれるなら、あなたは成長している。
恥ずかしくならないなら、2つの可能性がある。
本当に完璧なコードを書いたか、まだ愚者の山にいるか。
— たいていは後者です
この人、Peak of Mount Stupidにいませんか?
面接やチーム編成の場面で、相手がMount Stupidにいるかどうかを見極めるのは難しいです。IT領域は広く深いので、自分の専門外の分野で相手の力量を一瞬で判断することはほぼ不可能です。
ただ、いくつかの危険信号はあります。以下の診断チャートで、気になるあの人をチェックしてみてください。
Mount Stupid 危険度診断
Q1. その人は技術的な話をするとき、どんなタイプですか?
もちろん、この診断に引っかかるからといって必ずしもMount Stupidにいるとは限りません。コミュニケーションのスタイルや文化の違いもあります。ただ、危険信号が出た人がプロジェクトの舵を握ると、かなりの確率で問題が起きます。
広く深いITで、力量を一瞬では判断できない

余談ですが、入社直後に異常なほど自信に満ちて張り切っている人は、経験上わりと早い段階で辞めていきます。理想と現実のギャップに耐えられなくなるのかもしれません。
フリーザのことを思い出してください。あの恐ろしさは、強さを誇示しないところにあります。敬語で話し、淡々と事実を述べ、それでいて圧倒的。本当に実力がある人は、わざわざ強い言葉を使わなくても、仕事の成果で語ります。
「あまり強い言葉を使うなよ、弱く見えるぞ」。藍染のこの台詞を、私はIT業界で少し違う意味で受け取っています。あまり強い言葉や華々しい実績を語る人は、Peak of Mount Stupidにいる可能性が大いにある。
自分の専門分野ではないのなら、わかる人にその人物が口ほどの実力を持っているのか確認をお願いすることも大事です。人様の生活がかかっている組織を運営するなら、「この人は本当に大丈夫か?」という確認を怠るべきではありません。
ただし、挑戦しない人間にはなるな
ここまで「過信は危ない」という話ばかりしてきましたが、ひとつだけ補足させてください。挑戦すること自体は、絶対に正しい。
ドン・クリークの問題は、グランドラインに行ったことではありません。東の海での成功体験をそのまま通用すると舐めてかかったことです。準備をし、自分の実力を正確に把握し、足りないところを埋めてから挑んでいたら、結果は違ったかもしれない。
ダニング・クルーガー効果を知っていると、つい慎重になりすぎる。「自分はまだ愚者の山にいるかもしれない」と思うあまり、動けなくなる。でもそれは本末転倒です。愚者の山を恐れるあまり、山に登ること自体をやめてしまったら、永遠に絶望の谷にもたどり着けない。
大事なのは、より大きなことに挑戦する姿勢を持ちつつ、過信しないこと。「自分はまだわかっていないかもしれない」と思いながらも、それでも手を動かす。調べる。試す。それが啓蒙の坂の登り方です。
そんな人をたくさん横目に見つつ、一人で悠々と過ごしている私からの、他人事の意見でした。
……と言いつつ、今日も自分がどこかの分野でMount Stupidにいないか警戒しながら、それでも新しいことに手を出しています。
あまり強い言葉を使うなよ。弱く見えるぞ。
— 強い言葉を使う人が愚者の山にいる可能性を、冷静に疑おう。
人はただ生きるだけでも歩み続けるが それは恐怖を退けて歩み続ける事とはまるで違う だから 人はその歩みに特別な名前をつけるのだ “勇気”と
— 藍染惣右介